小粒でも鮮やかに

地方院生の日記

適応障害になりました

適応障害になった.

いや,前からうすうす気づいていた.去年の夏ごろから.

 

インスタのストーリーに投稿してる日記の代わりみたいな文章には,去年の夏ごろから「死にたい」とか「涙が出てくる」とか「辛い」という文言がつらつらと並んでいて,むしろ元気な内容を書いてる日のほうが少なくなっていた.

辛さを感じるたびに,なぜ辛いのかを考えた.

そのたびに色んな答えが出てきたけど,ついに精神科で抗うつ剤を処方されることになった今だからこそはっきりわかるのは「自分を大切にしなかった」ということ.

もともとの気質が相当温厚というか事なかれ主義というか,人に意見を言って対立するのが得意ではない.おまけに中途半端に人が好きだから,頼まれると嫌われたくなくてホイホイ聞いてしまう.さらにはゲラなもんでよく笑うから,「こいつならどんなことも笑ってくれる」という甘えを許してしまう.ついには,雑な扱いをされてもへらへらしてしまうわけだ.

これまでなら,機嫌のいい時の家族や,友人に話して元気をもらっていた.今ならよくわかるが,自分の気持ちを吐き出す時間が私の心を支えていたのだ.

ここには,そういう人はいない.ビジネスライク(笑)な付き合いを大事にする男社会では,他者の感情の機微にまで意識を払っている暇はないらしい.それで誰かがつぶれても,それは自己責任(笑)になるようだ.たぶん,元から感情とかわかってないだけ.無神経を都合のいい言葉に換えるなよ.

常に,投げられたボールをうまく返球することを求められる.だから落ちないボールは人気がない.おかしなボールを投げ返す技量が求められているから,ボールの投げ方や新しいボールの使い方は歓迎されない.

 

ずいぶんラボに行くことが辛くなってはいたけど,まだ頑張って行ってた.

頑張って笑った.頑張って手伝いをした.頑張ってできることをした.

頑張って雑な絡みを流した.気が付いたら家で毎日泣いていた.

頑張って読んでも文字が読めなくなっていた.情報が頭に残らなくて困った.

 

そのうち,自分自身が神経質になってきたのもあるけど,室員の態度が気になり始めた.ルールを守れないうえ,指摘しても開き直る尊大な姿勢に腹が立った.それを「個性も尊重」と言うボスにも違和を覚えた.誰かの実験の手伝いでけがをしても,けがをさせた当事者は謝らなかった.頼みやすいからか,ちょくちょく作業を中断して頼まれる手伝いをしていた.たまに,なぜか頼まれて手伝ったり指導しているのに舐めた態度をとられることもあった.だったら私に聞くなよ.日々いただく退屈なトークも「笑ってくれるだろう」という期待をこめて投げかけられるので無理して笑った.一方で,私の日常の話は途中でうやむやにされて終わることが多くなった.それか「で?」と言われたりね.お前の話に「で?」って言ったことないよね?

この前読んだ呪術の夏油みたいになっていくのが分かった.私が最後に心の底から笑ったのはいつだっただろう?

そういう日々の繰り返しの果てに,些細なことに対して嫌味を室員に言われることが増えて,ラボに行こうとすると体が強張って息が苦しくなるようになった.それでもなんとか行ってたんだけど,ついこの前,強烈な嫌味を言われて流したものの,帰路についたとき,涙が止まらなくなった.自転車に乗りながら号泣して帰った.今思うと器用すぎて面白い.帰ってからも3時間くらい涙が止まらなかった.心が限界だと訴えていた.

精神科で,手汗でぬるつく手のひらでなんとか肩を抱いて,今日にいたるまでの話をしたら,抗うつ薬を処方された.飲んだら不安だけがぽっかりなくなって驚いた.

それに加えて,大学から離れてみることにして,実家に帰る予定を長めに取った.家族に事の経緯を話したら,気を遣って優しくしてくれた.ごめんね.ありがとう.

元ラボの先生にも会いに行った.長々話してくれた.いろいろ提案してくれて元気が出た.やさしいまなざしだった.「頑張れよ」と言って手を振ってくれてうれしかった.

そういう日々を過ごす中で,少しずつ元気になっていくのが分かった.やはりラボでの生活が原因なこともよくわかった.だって論文を読んで,面白いと思う気持ちはまだ辛うじて息をしていたから.研究そのものが嫌いになったわけではないのだ.

 

集中ができない.気を抜くと悪意と悲壮と怒りが頭の中に入ってくる.

抗うつ薬が効いてるからそんなにぐいぐい入ってはこないが動悸がする.

ないのにお金も遣ってしまった.苦しみを吐き出すみたいに遣ってしまった.

 

今はとりあえず,ラボから離れて,自宅でやれることをやっている.

「好き」を思い出せないから,思い出せるように丁寧に生きているつもりだ.

これだけ長々書いたけど,つまるところ,コミュニケーションが合ってなかったんだ.

無理に適合しようとしたからおかしくなってしまった.雑に扱う人間に怒るべきだった.もっと強く,自己を主張するべきだった.ずっと家ってのも無理だし,心無いやつらのために私がずっと引きこもっているのも癪だから取れるだけの対策はした.ゆっくりと行こうと思う.

 

うまい笑い方も忘れてしまったけど,どうせ対人では思い出すんだろう.ずっとそうして生きてきたから分かる.

それでも,自分や,自分を大切にしてくれる人を守るために,私はこれから,私を害する人間を遮断する勇気を持っていきたい.すべての人間を大切にし,大切にされるなんて器用なことができるはずがなかったのだ.まだまだだな.

 

最後に,いつもフラットな態度で接してくれる助教の先生には,ラボに配属されてからずっと,言い表せないほど感謝をしている.気を遣ってくれているのもひしひしと感じている.「大丈夫?」と声をかけてくれてありがとうございました.あの瞬間,確かに私の心は救われました.こういう優しい人が,ここにひとりいてくれて本当に良かったと毎日思っています.この人に声をかけてもらうときと,たわいもない話をするとき,研究の話をするときは全部たのしい.心の底からというよりも,癒されているのだ.たぶんすごく気を遣っているだろうに,その感謝を示せていないことが悔しい.まあ論文書けって話だから,がんばって少しずつでも絶対に書きます.

アイドルに元気をもらった話

学内の奨学金に落ちた.

同じ研究室の同期は通っていて,久しぶりに悔しいという感情を覚えた.

 

学内選考の謎に疑問は抱いても,同期へは何も思わないし,次どこかの奨学金に通るためにデータ集めを頑張ろうと思うだけだ.

それでも多少落ち込みはあるもので,寝る前にもやもやしてしまい,ふと先日遊んだ友人が紹介してくれたアイドルのライブ動画を観ることにした.

Juice=Juiceというアイドルグループは女性のみで構成されており,私が観た動画ではきらびやかな衣装に身を包んだ8人の女性が歌って踊って笑っていた.

気付けば15分があっという間に過ぎており,もやもやしていた気持ちも晴れていた.

 

なんでだろう?

画面を注視して集中していたかもしれないし,綺麗で歌が上手な人たちの踊る姿と音楽に気分が上がったのかもしれない.

何にせよ「明日もがんばってみるか」と思えたのが素晴らしい.

友人には感謝したい.

帰ってきました

 前の記事を見て懐かしい気持ちになるくらいには放置していたこのブログをまた始めようと思う.

 

 学部3年生を終えて,私はいよいよ大学院進学を決め,院試を経て,現在は地方の大学院に外部進学した.初めてのひとり暮らしは慣れないことも多いが結構楽しんでいる.なにより大学まで歩いて行けるのがいい.早朝から深夜まで大学にいることができるのは大きい.終電という概念が存在しないからだ.

 

 進学先の研究室はみんないい人で(学部の時の研究室もみんないい人だったが),特にボスが親切心の塊と言うか面倒見の良さがカンストしているというか,とにかく熱心な方でありがたい.外から手助けはするが,基本的には自分であれこれやってみてというスタンスもまたいい.求めていた環境に来られたなと感じている.

 

 なにより,大学院に進学するような人たちは良い意味で他人に興味が無くていい.

 私は対人の際,相手の顔色をうかがって,自分の意にそぐわない反応を相手が喜ぶように返すことが多い.しかし院生,助教,ボスはそういう反応に対して明確につまらなさそうというか,疑問の表情を浮かべる.

 研究への指摘に対しても「おっしゃるとおりです」と言ったら「そこは反論してほしい」とボスにやさしく笑われた.そうか,私の研究なんだから,外野からの指摘に迎合ばかりしていたらあかんぞということかとその時なんとなく思って「はあ」と言った.

 

 ラボや大学の色は存在するだけあると思うが,前の所属先では相手の意見に迎合するスタイルが喜ばれるというか,「そうだろうそうだろう」みたいな反応を返す人たちが多かったように思う.(直接の指導教員はそうではないのが救いだった)

 そしてこのスタイルは,私が経験してきた多くの労働現場で通じる対人スキルであった.少なくとも私の中では.上司の意見に反論するなど論外,といったていで徹底的に「教育」されてきた身としては,「迎合するな,お前の意見を聞かせろ」という姿勢はまだ少し難しいと感じてしまう.

 ただ,この迎合し続けるばかりの自分が嫌だったし,研究活動をする人たちはちょっと違うんじゃないかという期待をして大学に進学したので,大学院でついに自分の意見を言っていいんだ,生意気野郎とか言われなくていいんだという安堵もある.

 

 他人の顔色をうかがわず,自分の意見をまっすぐに角が立たないように伝えるというのは結構骨が折れる.でもやっと,自分が望む環境に来られたから頑張ろうと思える.後から見返したらきっとものすごい他責で自分勝手な記録なんだろうけど,そんなものだろう日記なんて.そもそも野垂れ死に人生みたいなところがあるし.

 とりあえず続けられる限りやってみます.

デッドで腰をいわしました1日目

腰をいわしてしまった。

師匠がこのブログを見ていないことを祈る。

 

今日は師匠とデッドリフトの日だった。

先週、寝不足続きでへたくそなフォームで挑んだために腰にやや痛みがあったのだが、今日は60kgを持った時調子が良かったのでどんどん進んでいった。

しかし、110kgあたりから違和感が走る。

「重い!!」

シャフトが信じられないほど重い。マジか。まだ110kgだというのに、足に力が入らない。おまけにやや痛み程度だった腰が結構な痛みになってきている。

本当なら、ここで師匠に正直に申し上げて今日のトレーニングは終わりにするべきだったのかもしれない。

愚かな私は続けてしまった。

そして今、私の腰はまともに前傾できないほどの激痛に襲われている。

 

あーっ馬鹿した。「故障だけはするな」と師匠に口酸っぱく言われているのに。

一昨日スクワットで記録更新したからとかそういうことではない。

ただ単に腰が痛いのに無理したから今日は調子が乗らず、さらに腰を痛めたのだ。

 

どのくらいの期間で快復するのか忘れないように記録を付け始めることとする。

今日はとりあえず、以前腰をいわした時もらった腰痛ベルトを巻かなければまともに動けないほどの痛みである。

明日、布団から起きられるかが心配だ。

 

樹液図鑑を作成したい

ゼミの課題で浸出液についてのレポートを書いた。

森林のことについて学ぶにつれ、驚くことが多々ある。これまで研究が進んでいるのは針葉樹の中でも造材に用いられていたものばかりなのだ。

 

広葉樹についての研究はけっこう進んでいなくて、「クヌギやナラ類については未明である」みたいな記述を目にする。

 

卒論二つやったりしたら叱られてしまうだろうか。

樹液の成分と挿し木の難易度については一年もあればやれそうである。

その前に、まず奥多摩に出かけてあれこれ枝を採取して浸出液をゲット、成分分析に出して図鑑を作る。

それと同時に挿し木を行い、発根率の違いを見る。適切な挿し木方法は先輩の卒論を引用する。

 

うーむ。まだ七月だ。もし秋から演習林に行けるようになればやれそうだ。

秋からも無理だったらちょっと難しいかもしれない。成分分析と挿し木を並行して行うのはけっこう大変だろう。

ていうか私のメインテーマは菌根菌だから、菌根菌についての研究の筋道がきっちり立てばできるんだろう。

 

卒論でやれなくても、いずれはやりたいなあ。